前回は、物語のパターンの数は限られており、私たち人類は歴史上、世界中で、同じような話を繰り返し、繰り返し語り、楽しんできたという話をしました。そして、私たちは日頃、現実と物語(フィクション)とをわけて考えているという話もしました。

 しかし、現実と物語は別のものだと思っていたとしても、物語が現実世界を理解したり、説明したりすることと密接に関わっていることは間違いないでしょう。

物語はわかりやすいし、共感しやすい

 人が年老いたり、死んだりしなければならないのはなぜか。太陽が隠れたり、あらわれたりするのはなぜか。月が満ちたり欠けたり、季節が移り変わったりするのはなぜか。海の果てには何があるのか。人と人とが反目しあったり、争ったりするのはなぜか。神様は人に何を期待しているのか。どういう生き方が正しいのか……。

 こうしたことがらを説明したり、理解したりするために神話は生まれました。そして、それがベースとなって、いろいろな世俗的な物語や商業的な物語も生まれています。

 だから、私たちはどうしても、歴史上の事件や、世の中のあり方や、日常目にする出来事について、物語の形で理解したり、人に伝えたりするわけです。そのほうがわかりやすいし、人に共感してもらいやすいからでしょう。

 たとえば仕事上で問題が生じたことを上司に報告する場合でも、「はじめにこういうことが起きて、それに対して○○さんが××をしたところ、△△という事態に発展してしまいました」などというように、知らないうちに三幕物の物語の構成でしゃべっていたりします。

物語は出来事を理解しやすく組織したもの

 物語は、(それが現実上のものであれ、虚構上のものであれ)出来事や、それにかかわる人物や事物を、合理的に理解しやすくするため、誰かが整理し、組織したものと言えます。

 そうであれば、物語が発動するのは、いわゆる神話とか昔話、あるいは小説、映画、演劇、漫画などに留まらないわけです。新聞記事やニュース、ドキュメンタリーだって一種の物語と言えます。その原稿を書く人は、何とかわかりやすく出来事を伝えたいと考えるはずですから、どうしても──ほとんど無意識的に──物語の構成・構造に頼ろうとするわけです。

〈history〉≒〈story〉?

 英語の〈history〉にあたるフランス語の〈histoire〉やスペイン語の〈historia〉には「物語」という意味もあります。これらは、もともと「歴史」や「物語」などの意味を持つラテン語の〈historia〉やギリシャ語の〈ἱστορία〉に由来していると言われています。そして、英語の〈story〉もこの2語を背景に持っていると考えられるのです。

 私たちは何となく、歴史というと、学者が過去の事実を綿密に調べて記述したもので、小説や漫画などの物語とは違うと思っています。しかし、歴史はどこまでいっても、誰かが、過去の人物や事件を意味のある構成を持つものとして組み立て、記述したものです。その意味では、「物語」であることを免れないと言えます。「歴史は勝者によって作られる」などと言われるのも、そうした理由からでしょう。

 客観的に事実を伝えるものと思われているテレビの報道番組などで「ヤラセ」が問題になるのも、そうした理由からです。

 次回は、私の知り合いの「ヤラセ」の経験談を紹介したいと思います。それは、私たちが何となく権威と思っていいるものが、実はかなりあやしいということをあらわしています。

 今日もお読みいただき、ありがとうございました。

投稿者

管理人 Kたろう

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