どうも、Kたろうです。
前回、人助けはいらないという話をはじめましたが、ちょっとショッキングに感じた方もいたかもしれません。
だって、親である自分が目覚めた新しい生き方をして幸せになり、子供が眠ったままでいいのだろうか、と思いますよね。夫である自分は目覚めて、地上の天国のような人生を謳歌し、妻は眠ったままで、地獄で暮らすような人生でいいのだろうか。親友が闇の中で迷子になっていて、自分だけ光り輝き、にこにこしていていいのだろうか、と。
どうせなら、親しい人たちと一緒に新しい地球、ワクワクする星に引っ越したい、と思うのもよくわかります。
スピリチュアルな話をしても、募金をしてもOK
ただ、私はあなたが日ごろ馴染んでいるスピ系の話(目覚め、アセンション、悟り、魂、輪廻……)を人に語って聞かせてはいけないと言っているのではないのです。もし相手がその話に乗ってきて、「そうなんだ! その話、面白いからもっと聞かせて」とか、「実は、私もこのところ、そういう本ばっかり読んでいるの」などという反応が返ってきたら、じゃんじゃん教えてあげていいと思いますし、あるいは”スピ友”になって情報交換をし合ってもよいと思います。そうなったら、本当に嬉しいですよね。
でも、相手がそのような話にまったく興味を持たず、「あなた、アタマ大丈夫?」といった反応をしてきたら、親子、兄弟、夫婦、恋人、親友のような関係であっても、それ以上はその話題は無用です。何とか説得してやろうとか、相手の間違った考えを論破してやろう、などと無理に考えなくてよいのです。かえってそのようなことをすれば、あなた自身が周波数を落としていくことになります。外界という幻、ヴァーチャルリアリティにとらわれてしまうことになるからです。この世界のトリックにはまり込んで、自分が自由な魂であることを忘れてしまっている以上、「目覚め」や「進化」への道を進むことはできなくなります。
また、たとえば最近、トルコやシリアで大地震が起きましたが、私は、被災者をサポートするために募金をするような行為を否定しているわけでもありません。災害の被災者だけでなく、世の中には他にもいろいろな形で困難に直面している人たちがいます。もしあなたが、そうした困っている人に何らかの形で手を差し伸べたいと本当に感じるなら、そうすべきだと思います。それはあなたの魂が、形のない「愛」というものを、この物理次元で、肉体を伴って表現する体験を望んでいる証だと思うからです。
けれどもその際、もしあなたが目覚めの道を進み、新しい地球に引っ越したいと思うならば、わきまえておかなければならないことがあります。
魂は物の見方や体験を自由に選ぶことができる
まず、困難に直面している人が、その体験をどう解釈するかは、その人の自由だということです。たとえば突然失業して収入がなくなってしまった場合、ある人は「自分の内面に『私はお金を受け取るに値しない』という周波数があったから破産したんだ」と思うかもしれません。ある人は「別の仕事をしたいと思っていたけれど、ずっと踏ん切りがつかなかった。これは、『早くあの仕事は辞めなさい』という宇宙からのメッセージだ」と思うかもしれません。また、ある人は「あの愚かな社長のせいで首を切られた」とか、「政府の経済対策がなっていないからだ」とか、「あの国の政治家が戦争をはじめたから、世界経済がおかしくなったんだ」と思うかもしれません。
いずれによ、魂はそれぞれが望む体験するために、物の見方や考え方を自由に選べます。その自由は、何ものにも侵されない、絶対的な権利と言えるものです。たとえばあなたが「そんなひがんだ見方をしているから苦し思いをするんだ。自分はそういう見方はしない」などと言いたくなる人に出会ったとします。でも、その人の魂にとっては、「その見方」が作り出す体験にこそ意味があるかもしれないのです。たとえば、過去生での体験とバランスをとるためには、いまその見方が必要だ、というように。
”困っている人”は強くて勇敢な魂
だから、一見”困っている人”を「弱い人」とか、「愚かな人」と見てはいけないのです。
(『見てはいけない』というよりは、『そのような見方は、魂のレベルでは事実ではない』と言うべきかもしれません)
彼らは十分に力を持った強い魂であり、果敢に困難を選んでいる勇気のある魂です。ですから、あなたが肉体レベルで”助ける”と見える行為を行うにしても、心のうちでは「相手は本来、助けなど必要ない、立派な魂だ」という思いを抱いてください。そしてそうすれば、あなたの”助け”はよりいっそう、力強い愛を発揮することになるでしょう。
お読みいただき、ありがとうございました。