どうも、Kたろう(けーたろう)です。

これから何回かにわけて、「地球上ではいずれ、お金はなくなる」というお話をしたいと思います。

最近は、電子マネーがどんどん浸透してきていますね。現金はあまり持たないという人も多くなっています。だから「お金はなくなる」と聞くと、「ああ、紙幣や貨幣が減っていって、デジタル取引に移行していくってことね」と思う人も多いと思います。しかし、ここで私がお話ししているのは、現物であれ、デジタルのものであれ、「貨幣」そのもの、あるいは「貨幣制度」そのものがなくなっていく運命にある、ということなのです。

「技術の進歩」のスピードを考えれば、それはもはや必然と言ってよいと考えています。

お金の苦労がなくなったら

世の中、お金で苦労している人は多いですよね。
子供の教育費も払わなければならないし、家のローンの支払いもある。食費もけっこうかかる。また、老後の蓄えも2000万円以上は必要らしい。会社には行きたくないけれども、そうしたお金を得るためには、いやでも出勤して働かなければならないな……。
そんなふうに日々、ため息まじりに思っている人は少なくないのではないでしょうか。

お金を持っている人とそうでない人の間には「階級差」があると思っている人も多いでしょう。お金持ちは「勝ち組」で、貧乏人は「負け組」だとか。
お金を持っていない人は、お金持ちに頭を下げ、卑屈なまでの態度を取ってでも、自分の提供する物やサービスを買ってもらわなければならない、とか。
「勝ち組」になるためには、必死にがんばって、ライバルたちをやっつけなければならない、とか。
そういう意識が、人々のあいだには浸透し、社会の空気を重苦しくしたり、ぎすぎすさせたりしています。

でも、お金がなくなったら、こうした苦労もなくなりますね? 日々の支払いや、老後の蓄えを心配する必要もなくなります。あくせく働く必要もないし、お金持ちや、お金を払ってくれるお客さま、会社の経営者や上司の前で卑屈になる必要もないです。なんて幸せなのでしょう! 心が軽くなりますね!

こんなことを言っていると、頭がおかしいと思われるかもしれませんが(笑)。

お金(貨幣)は交換のための便利なツール

お金のない社会について考える前に、まずは「お金(貨幣)とは何か」について考えてみたいと思います。
お金は「交換の手段」ですね。

お金がない時代の取り引き、すなわち物々交換について考えてみましょう。
たとえば、田畑で米や麦、野菜などを育てている人のところへ、魚獲りのうまい人が魚を持ってきて、米と魚を交換するとか、あるいは両者が市場のようなところで出会って交換するわけです。


この場合、市場に米や野菜を持ってきた人と、魚を持ってきた人と、どちらが偉いのでしょうか? たぶん、これは対等の取り引きと言っていいでしょう。農業に従事している人は魚をうまく獲れないし、漁業に従事している人は農作物をうまく育てられません。だから、「いつも、おいしい米や野菜をありがとう」「いえいえ、こちらこそ、新鮮でおいしい魚をありがとう」と言って交換していたはずです。

では、そこに交換手段としてのお金がかかわった場合はどうなるでしょう?

漁師さんはいつでも魚を獲れるわけではありません。海が時化ているときには漁に出られませんし、漁に出ても豊漁のときもあれば、ほとんど魚が獲れないときもあるでしょう。また、冷蔵庫などのない時代には魚はすぐに腐ってしまいますから、いつも手元に新鮮な魚があるとはかぎりません。そうであれば、米や麦が欲しいと思ったときに、いつでもすぐに手に入れられるわけではないのです。しかし、魚が大量に獲れたときに売ってお金に替えておけば、手元に魚がないときでもそのお金を使って米や麦を買うことができます。

いうまでもなく、お金は米や麦だけでなく、基本的に何にでも交換できます。魚を必要としていない人(魚が嫌いな人とか、魚アレルギーの人とか……)に魚を持っていっても、何も手に入れることはできません。でも、お金があれば、食品や衣服、道具、職人の技術などなど、いろいろなものを手に入れることができます。そう考えると、お金はとっても便利ですね。取り引きを円滑に行える、非常に便利なツールです。

お金を払う人は偉いの? お金にまつわる勘違い

でも、ここで考えていただきたいことがあります。お金を介在させて米や麦の売買を行った場合、お金を払ったほうが偉いのでしょうか? それとも、お金を受け取って米や麦を売ったほうが偉いのでしょうか?

さきほどの魚と米の物々交換の場合、対等であったはずなのに、私たちはなんとなく「お金を払うほうが偉い」と思っているのではないでしょうか? 

「お客様は神様です」ではありませんが、一般に、商品やサービスを提供する側は、お金を払う客に対して丁寧な言葉遣いをしなければならないと思われています。そして、お金を払ってもらったら、「ありがとうございます」と頭を下げるのが常識とされています。
多くの会社では、新卒の人を採用すると、接客マナーや言葉遣いについての研修に参加させたりします。そのいっぽう、客のほうはふんぞり返って、横柄な言葉遣いをしても構わないと思っている人も少なくないようです。

レストランなどでも、「ここの従業員はなっていない。客に対してあの態度は何だ!」なんて怒っている人を見かけますね。これをお読みくださっている方の中にも、そのような怒りを抱いたことがある人がいると思います(私もその一人です)。
もちろん、接客態度の悪い店に行きたくないと思うのは当然でしょうが、ここで私が言いたいのは、本来、店側と客側のあいだには上下関係などないはずだ、ということなのです。

たとえば、客がレストランで食事をしてお金を払う場合、レストラン側は「多くの店の中でうちを選び、食事をしてくださってありがとうございました」と頭を下げます。これは当たり前と思われています。でも、客のほうも「今日はおいしい食事をしながら、楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました」と頭を下げて当然ではないでしょうか。その感謝の気持ちを込めて、客は店に代価を払うべきではないでしょうか。

つまり、「お金を払う側は受け取る側より偉い」というのは勘違いに過ぎないはずなのです。お金は便利であるがゆえに生じた勘違いです。そしてそこから、「お金をたくさん持っている人は偉い」という勘違いが生じているのです。

社会においてお金というものがだんだんと力を失っていき、やがてなくなっていくということは、人々がお金にまつわる幻想から目覚め、以上のような勘違いから脱却していくということなにほかなりません。
いまはまだ、強く、頑固な勘違いがはびこっているからこそ、私たちはお金に支配されて生きていかざるを得ない、と言い換えてもよいかもしれません。

では、お金がないとはどういうことなのでしょう。そのようなことは実現できるのでしょうか。それについて、次回「お金(貨幣)はなくなる②」でお話していきたいと思います。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
Kたろうでした。

投稿者

管理人 Kたろう

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